2009年最後の今日は何とも寒い日でした。峠の上では日中も気温が上がらず一日中氷点下のままで、PM6:00の気温は既に-3.5℃まで下がっていました。お昼過ぎから舞った雪で、一度溶けていた家の周りも又真っ白に。
そんな中にあって、新しい春に向かって一生懸命に「命」を育んでいる木々達に脱帽です。
2009年12月28日月曜日
2009年12月25日金曜日
白菜とカメムシ
2009年12月24日木曜日
Tさん宅のイルミネーション
2009年12月23日水曜日
雪景色
2009年12月18日金曜日
冬将軍のお出ましだ~。
2009年12月15日火曜日
母の誕生日
今日は母92歳の誕生日。元気でいてくれることが何よりの喜びです。
終戦直後父と共に此処へ戻ってきて、初めての百姓仕事をしながら私達を育ててくれました。高齢になった今、腰が曲がっているのも、足が悪くなったのも、長年の野良仕事の所為でしょう。主治医であるF先生は、いつも母にこう言って下さいます。「腰が曲がったのも足が痛いのも、しっかり働いて来たことへの勲章ですよ。」と。
感謝すると共に労わってあげなければ、と思っています。
上の写真は、母の卒寿のお祝の時にプレゼントした「額」です。鳥取在住の漫画家 岩田廉太郎氏に作って頂いたペーパーアート (半立体絵)です。
何にしようかと迷っていた時、たまたま立ち寄った鳥取県智頭町のレストラン「ミント」でこの先生の作品に出会いました。絵画でもなく写真でもなく、手作りの紙の温かさが溢れる作品に、惹かれました。
「ミント」の御主人の口添えで、母が自分で一番好きだと云う岡山での女学校時代の写真を岩田氏にお預けして、出来上がったのがこの写真の立体絵です。モノクロのセピアがかった写真1葉から、一度も会ったことの無い母の若かりし頃を想像して作って下さいました。母にそっくりです。
終戦直後父と共に此処へ戻ってきて、初めての百姓仕事をしながら私達を育ててくれました。高齢になった今、腰が曲がっているのも、足が悪くなったのも、長年の野良仕事の所為でしょう。主治医であるF先生は、いつも母にこう言って下さいます。「腰が曲がったのも足が痛いのも、しっかり働いて来たことへの勲章ですよ。」と。
感謝すると共に労わってあげなければ、と思っています。
上の写真は、母の卒寿のお祝の時にプレゼントした「額」です。鳥取在住の漫画家 岩田廉太郎氏に作って頂いたペーパーアート (半立体絵)です。
何にしようかと迷っていた時、たまたま立ち寄った鳥取県智頭町のレストラン「ミント」でこの先生の作品に出会いました。絵画でもなく写真でもなく、手作りの紙の温かさが溢れる作品に、惹かれました。
「ミント」の御主人の口添えで、母が自分で一番好きだと云う岡山での女学校時代の写真を岩田氏にお預けして、出来上がったのがこの写真の立体絵です。モノクロのセピアがかった写真1葉から、一度も会ったことの無い母の若かりし頃を想像して作って下さいました。母にそっくりです。
*「ミント」のこと、岩田廉太郎氏のことは、後日また書きたいと思います。
2009年12月10日木曜日
モミジガサ:11/15袴が仙登山
山地の木陰などに生えているモミジガサです。一ヶ月程前の11月15日、袴が仙に登った時、登山道の途中で見つけました。花の時期はもう過ぎていましたが辛うじて残っていた花穂(50㎝位伸びた茎の先に白い花が円錐状に付いていました)は、山の風に吹かれていてどうしても上手くカメラに収められませんでした。
2009.11.15 袴が仙(標高930.6m)登山
「袴が仙に登ろう会」のメンバー数人で秋の袴が仙に登ってきた時の写真を少し。
雨の後でしたがこの日は運よくの快晴、朝8:00から登りかけて12:00前には下山出来る位の行程でした。今回は東谷からのルート。私には初めての登山道でした。
イタヤカエデが綺麗だと聞いていましたが、これももう一番いい時期を外していました。頂上の少し手前で色の残っていた風景です。
頂上までは後少し尾根道を歩かねばなりません、という場所からの遠景です。一番向こう中央の山が「那岐山」です。
県北には週間天気予報でついに雪のマークが出ました。袴が仙も那岐山もやがて白いものを被るのでしょう。そして峠の此処もね・・。
2009年12月8日火曜日
寒い朝
もう何度も霜が降りましたが、今朝も又寒い朝でした。今年は一度も咲かなかったマルバストラムの葉も、霜を被りました。(*マルバストラム=多年草。枝は地を這いながらどんどん伸びていきます。昨年の花後、上手く切り戻しをしなかったのが原因でしょうか、今年は葉だけが繁りました。雪の下でもこの青い葉が元気でいてくれます。)
家の南側に作ったアカメの支柱にも、同じように霜は降りています。
洗濯物を干しに出てみると、朝方の冷え込みで凍った水滴が溶けかけていました。朝の陽が射しかけた向こう側の景色を、光りながら落ちていく水玉の中に見ました。
日中の気温が10℃を越えない日が続きます。今日は陽射しに恵まれた一日でしたが、それでも外仕事をしていると、午後も3時を過ぎる頃には寒くて作業手袋をしていても指先が冷たくなる程。
峠の上では寒い日が増えています。
家の南側に作ったアカメの支柱にも、同じように霜は降りています。
洗濯物を干しに出てみると、朝方の冷え込みで凍った水滴が溶けかけていました。朝の陽が射しかけた向こう側の景色を、光りながら落ちていく水玉の中に見ました。
日中の気温が10℃を越えない日が続きます。今日は陽射しに恵まれた一日でしたが、それでも外仕事をしていると、午後も3時を過ぎる頃には寒くて作業手袋をしていても指先が冷たくなる程。
峠の上では寒い日が増えています。
2009年12月5日土曜日
チェッカーベリーの実
ツツジ科の常緑低木、チェッカーベリー(別名 ヒメコウジ)。初夏に咲くアセビに似た白い花も可愛いのですが、秋に付くこの赤い大粒の実は又格別で、鳥達に持って行かれない限り春先まで残っていることも少なくありません。株が良く張るのでもう何度か鉢を大きくしていますが、来春には適当な場所を探して地植えにしようかな、と考えています。
耐寒性は強いので寒さの厳しい我が家でも、玄関の外で冬を越します。
耐寒性は強いので寒さの厳しい我が家でも、玄関の外で冬を越します。
数年前の経験から冬場の停電に備えて、ファンヒーター以外に電気の要らないタイプも使っています。その内の一つコンロ型、これがとても役に立つストーブで、やかんを懸けて置けば何時もお湯が沸いているし、ちょこっと温めたいおでん鍋、時間の掛かる煮込み物にも・・。
今日は、一昨日の晩から又調子を崩して寝ている母用のお粥作りに、一役かってくれました。
2009年12月4日金曜日
くらかけ豆
今年の春、Fさんから「くらかけ豆」を頂きました。その内の60粒程を蒔いてみましたところ、隣の畝の大豆が駄目になるのと反比例して良く育ってくれました。
よく干した豆をこなす作業は、昔の様には蓆が無いのでシートの上で。収量は期待した程多くは有りませんでしたが、それでも七合位は採れたでしょうか。
よく干した豆をこなす作業は、昔の様には蓆が無いのでシートの上で。収量は期待した程多くは有りませんでしたが、それでも七合位は採れたでしょうか。
*炊き上がったばかりの豆。湯気が判って貰えますか。
この豆、煮ると海苔の香りがします。前夜から水に浸しておきましたが、朝にはもう鼻を近付けるとそれと判るほどでした。夕食用に炊いた豆は塩だけでの味付けに。枝豆より豆の味がしっかりしていて、おつまみには丁度良かったようです。
兄が、「この豆は前からのり豆ゆうて、よう作りよったぞ。」と教えてくれましたが、納得でした。くらかけ豆の別名だそうです。
この豆、煮ると海苔の香りがします。前夜から水に浸しておきましたが、朝にはもう鼻を近付けるとそれと判るほどでした。夕食用に炊いた豆は塩だけでの味付けに。枝豆より豆の味がしっかりしていて、おつまみには丁度良かったようです。
兄が、「この豆は前からのり豆ゆうて、よう作りよったぞ。」と教えてくれましたが、納得でした。くらかけ豆の別名だそうです。
2009年12月3日木曜日
冬支度 その3(漬けもの作り)
2009年12月2日水曜日
到来物 と 冬支度 その2
「ロータリ除雪車」。これから一冬常駐しているふれあいセンターの広場で、まるで役者さんが出番を待っているようにでんと構えていました。大型のこの除雪車が稼働するのは、路肩の雪が高くなった時で、遠くまで雪を飛ばしながら道路幅を広げて行ってくれます。雪の深いこの地の暮らしでは本当に力強い味方です。この冬は何度お世話になるのでしょうか。
昨日の朝出掛ける途中、12月に入ったとは思えない晴れた陽のもとで撮影しました。
昨日の朝出掛ける途中、12月に入ったとは思えない晴れた陽のもとで撮影しました。
≪嬉しい到来物≫
そういえば津山の「横綱饅頭」はまだ有るのでしょうか。昔(もう何年前になるか判りませんが)は土産に買って帰ったり貰ったりして、よく食べたものです。狭いお店の中で熱々をほおばった様な記憶も有るのですが・・。
2009年11月30日月曜日
2009年11月29日日曜日
冬支度 その1
2009年11月27日金曜日
ヘクソカズラの実
2009年11月26日木曜日
2009年11月25日水曜日
2009年11月24日火曜日
お別れと冬苺の実
親友のお母様が逝かれました。、お一人暮らしだと聞いていたのに自分の事だけに感けて、お訪ねしてみることもしないでいたのが悔やまれます。車で走ればほんの40分もあれば行けたのに、です。
今日、最後のお別れに行ってきました。若い頃と変わらぬお顔の傍に、お詫びの気持ちも込めてお花をそっと置かせて頂きました。
今日、最後のお別れに行ってきました。若い頃と変わらぬお顔の傍に、お詫びの気持ちも込めてお花をそっと置かせて頂きました。
何だか父を想い出して、帰宅してから母屋の裏山の尾根近くまで上がってきました。子供の頃父に連れられて薪を取りによく登ったところです。雑木も今は減っていますが、歩いた道は何とか残っていました。
足元にあった冬苺の実です。茎の先は何かに食べられているのでしょうか、でも残った部分に着いた実の赤い色が、目にも心にも焼きついています。
2009年11月21日土曜日
さをり織り展と西原ダム
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